自分の人生にどんな意味を持つか

「大学は人生にどんな意味を持つか」です。

 

 社会全体を見るとき、大学で学ばなかった人でも、立派な人はたくさんいるし、大学で学んだ人が人間的に特別すばらしいわけではないのは誰でも知っていることです。

 

 それに社会状況が厳しくなって、大学を卒業しただけでは、まともな職にありつくのが大変な世の中であることも広く知られていますから、就職という視点だけで見ると、高校卒業後大手に就職した人のほうが成功したようにも見えます。

 

 本当にそうでしょうか。

 百歩譲って、それが成功だったとしても、就職した会社での新しい仕事に次々対応するときには、やはり一定の専門的な知識とコミュニケーション能力、体力集中力が必要です。コミュニケーション能力、体力集中力は大学で学ぶことはできませんが、専門的知識は多くの場合大学でしか学ぶことができません。

 

 たとえば、自然科学は、「積み上げ型」の学問分野ですが、高校で学んだだけで、何をどういう順番で学んだら良いかが分るでしょうか。数学や物理が必要なんだろうけれど、どんな数学が必要なのか、物理のどの分野から学べばよいかが分かる人はいないと思います。もっと極端な例で言えば、医学を独力で学ぶなどということを考える人もいないはずです。

 

 仮に、書物で学べたとしても、実験をすることはできません。大学の実験装置を自分でそろえる財力のある人は就職など考える必要のない人でしょうし、医学の解剖実験を一般人がやったら、動物虐待や死体損壊で犯罪になってしまいます。

 

 一方、経済や法律などの社会科学系の分野は、自然科学に比べると、「並列型」と見られます。それでも専門用語を理解するだけでも大変です。まして幅広い知識を身に付けようとすれば、さまざまな専門家の話を聞かなければなりません。

 

 大学には、さまざまな分野でその道を極めた専門家が集まっています。この専門家が、自分の経験も踏まえて最も良い教育システムを作り上げ、さらに、日々の教育の中で、何をどう教育するのが良いか試行錯誤を続けています。

 

 専門的な知識になればなるほど、大学でしか学べないことが出てくるし、大学で学んだほうが無駄が少ないと思います。

 

 大学は、民主的で豊かな日本の社会を継続発展させるために、国が多額の予算を使って支えています。昔ほどの比率ではなくなりましたが私立大学でも運営交付金を受けて運営されています。

 

これを見ても、大学というシステムの重要性と教育の効率性が社会的に認識されていることわかります。

 

職業と大学

 

 社会の中では信用がとても大切です。その人は正直な人なのか、十分な知識のある人なのか、実際にできる人なのかが分からないと仕事を任せることができません。正直かどうかはそれまでの仕事ぶりや評判で知ることはできます。知識や実力は関わってきた仕事で知ることができます。

 

 しかし、資格を持っていないと絶対に付くことができない職業もあります。

 その資格の中には、大学で学位を取らないと資格試験の受験すらできないものも結構たくさんあります。医師免許、教員免許がその例です。

 

 一方、大学で学ばなくても受験はできるが、試験内容が大学で学んだことを前提としているものもあります。司法試験、会計士試験などが例です。

 

このように将来の職業選択において、大学の卒業・学位取得が第一関門になることは決して少なくありません。この点でも大学で学ぶ意味は大きいと言わなければなりません。

 

僕は、プロスポーツ選手として生きていく、私はタレントとして芸能界で生きていくから、学問はいらない。料理人や職人として腕に職を身につける方が良い。そういう選択もあるでしょう。不合理なことにも耐えていくことができるのなら、ぜひ頑張ってください。成功する保証もないけれど、成功しない保証などどこにもありません。しかし、どの道で生きていくにしろ、大学に行くにしろ行かないにしろ、その道で一人前になるには最低10年はかかります。その覚悟は必要です。

 

大学とブランド

 

大学を卒業した後、どこの大学の出身者かものをいうことがあります。もちろんそれがいいことではないし、実力がものをいうことの方が大きいことも解かって言っています。しかし、残念ながら、大学卒業を前にした就職活動でいやというほど思い知らされる現実もあることは、先輩たちの話で聞いているでしょう。

 

それは今の時代が本当に不安定な時代なので、勤務企業や出身大学などのブランドにしか心の支えが持てないからかもしれません。本当は自分には何もないことがわかっているからせめて出身校くらい自慢したいのかもしれません。あるいはもっと素朴な感情で、楽しい学生生活を送らせてくれた母校への愛情から来るのかもしれません。

 

しかし、日本の社会では、「これができる」ということもとても重要ですが、「あらゆる状況に対応できる」という能力が重要視され、どの大学を出たかということが、基礎的能力があるかどうかの1つの目安になっています。まあ、ありていにいえば、自分たちでその人の能力を見極められないので、あそこの大学の卒業生ならこれくらいのことはできるだろうということです。

 

ばかばかしいと思いますが、一生懸命受験勉強をして、有名大学へ入った人へのとりあえずのご褒美で、後は就職先での頑張りで評価され競争していくと考えれば、それもありかもしれません。

 

私自身はそんなことが重要だとは思っていませんが、一応触れておきます。

 

大学と人格形成

 

大学に行く意味に少し戻ります。

 

大学は、専門的知識の授与と人格形成を目的にしています。専門的知識は講義やゼミナール、実験などを通して教育されますが、人格形成は道徳教育のような何か特別な授業が行われる訳ではありません。

 

 一般教育科目や専門科目を学ぶ中で人格の形成が行われるのです。

 これは「いい言葉」のところにも書きましたが、真理を学ぶことによって、迷信や因習にとらわれた心を解き放ち、自由に考え行動できる人格の形成がなされるのです。

 ここでいう真理とは、何か宗教的な意味での真理やこれと決まった事柄を意味しているのではなく、自然の本来の姿、人間社会のあるべき姿、人間としての生き方を意味していると考えるべきです。

 

大学における人格形成は、さまざまな学問分野を幅広く学ぶことによって、そこで得られる知識と学ぶ過程でなされる事になります。

 

つまり、大学に入っただけで何か特別なものが与えられる訳ではなく、学び続ける中で、目が開かれ鍛えられ、ものの見方や考え方が大きくなっていくということです。

 

これはスポーツを通した人格形成とも通じるものがあります。スポーツでは、日々の苦しい練習を通して、集中力や向上心、忍耐力が身に付きます。また、相手に対する尊重尊敬する心も身に付きます。

 ラグビーでいえば、個々の技術は当然ですが、体力・忍耐力・集中力がなければ、試合に勝つことはできません。この三つは特別な練習をすればすぐに身に付くものではなく、本当に苦しい練習を通して、日々身につけていくものです。少しずつうまくなっていく中で、もっとうまくなりたいという向上心も湧いてきます。また、対戦相手に対しても、いい試合ができたとき、単に試合相手として尊重するのでなく、ともに苦しい練習に耐えてきた仲間として尊敬できるのではないでしょうか。

 

こういったことは学問の世界でもあります。

学問をしようとすればやはり、向上心・集中力・忍耐力が必要になります。すでに身につけている人もいますが、ほとんどの人は学問を通して身につけていきます。

 

本当のことは何なのかをいつも考えていくことによって、自然や社会のありようをいつも点検し、何事にもとらわれない自由な心を育み、学ぶ困難に立ち向かうことによって、強い心を育てていきます。そして人類の歴史を知ることによって、不正や暴力、困難に立ち向かった時の人間の強さと弱さを学び、自分が困難に立ち向かったときにどうふるまうべきかの判断力を身につけます。

 

この意味では、大学でも受験勉強でも、苦しさに耐えて学ぶことによって、さまざまな知識や忍耐力が身に付きます。自分が成長していく中で、さらに成長したいという向上心も身についていきます。

 

大学ではこういうことを通して人格の形成が行われているのです。

 

しかし、一人で穴にこもって、苦しさに耐えて本を読んでいれば人格形成が行われる訳ではありません。論語にもあるとおり「学んでときにこれを習う」ということが必要です。学んだことや自分の理解が正しいかどうか仲間と議論してみる、実践を通して試してみるということが大切になのです。

 

そのためにはいい仲間といい先生に恵まれる必要があります。

いい仲間というのはどんな仲間かというと漢文で習ったと思いますが、「君子の交わりは淡さこと水の如し、小人の交わりは甘きこと醴の如し」(「荘子」の「山木篇」)に言い尽くされています。いい先生はとはどういう先生かというと、「教えるとは希望を語ること」(ルイ・アラゴン)「教えて導くこと厳ならざるは師の怠りなり。」(司馬光)を体現しているような人でしょう。

 

 

そうは言っても、そんな大学がどこにあるのか、高校生に解かるはずもないし、いいと思っていった大学がそうでもなかったということはよくある話です。でも、いい仲間といい先生はどこの大学にもいるものです。どこで学ぶにしても、積極的に見つける努力をする必要があります。

 

ここまでつらつら書いてきて、読んだ人にうまく伝わっているかどうか心配ですが、ほとんどの大学は行って学ぶ価値のあるところだし、人生にとって大きな分岐点があるところだということを書きました。

 

安心して、ラグビーに、受験勉強の取り組んでくだい。